条約締結に向けて以下のような段階を経たことが想定される。
0.フランス語による条約の起草(フランス案)
1.通訳である中国人官僚による漢語訳(漢訳フランス案)
2.交渉初日にゲランより開示された原案(漢訳交渉原案)
3.琉球役人との交渉による改訂作業(改訂漢訳版)
4.条約正文の決定(条約正文)
今回発見された〈漢訳案〉は、果たしてどの段階のものであるか。
これを考える上で判断根拠となりそうなポイントがある。それは、漢訳案に〈総理大臣尚景保〉の名は挙げられているものの、〈布政大夫馬良才〉と〈布政大夫翁徳裕〉が挙げられていない点である。条約正文においても、四つの国書においても、すべて三名の連名であるのに、漢訳案のみ二人の名前がない。
十月一日、ゲランより〈漢訳交渉原案〉が提示されるが、その後の交渉が漢訳案に反映されているとすれば、〈布政大夫馬良才翁徳裕〉を省略することは考えられない。従って、漢訳案は、臨時職である布政大夫の人事がフランス側に伝わる以前、即ち、1ないし2の段階にあると考えるのが自然であろう。
しかし、漢訳案の冒頭には、フランスと琉球が協議した旨が書かれている。このことをどう考えればよいか。
《琉球王国評定所文書11巻一五三五号 16-1章》、これは咸豊五年十月一日、琉仏条約の協議初日の模様を記した文書であるが、次のような記述がある。
「これらの儀(フランス皇帝から琉球国王宛に認められた貿易を求めた書簡)は先に締結を約したものだから、いつどこで允可を得られるか」此儀者先追而之事約条相定候間、何日何所ニ而可致哉与申ニ付)とゲランは述べている。フランスとしては、一八四六年の運天交渉ですでに予備交渉は済ませており、残るは合意形成の段階であるという意識であったろう。同様の趣旨は、琉仏条約の冒頭でも触れられている。「フランスは琉球と先に条約の締結を求めたが允可を得られず、しばらく中断した上で再議することに同意した」(大仏蘭西国与大琉球国前請和約章程未蒙允諾今暫且停止待後再議)。
一八四四から始まるフォルカード神父の在琉など、他の西洋列強にさきがけ、琉球開国政策を進めてきたフランスであったが、前年、琉米条約を取り付けたペリーに先を越されてしまった。二国間条約は最初に結んだ国が有利に働く。それゆえ、交渉の連続性をもって、アメリカより先んじていたことを示したかったのであろう。
なお、外務省外交資料館とフランス海軍公文書館に保管されている条約正文の筆蹟と今回発見の漢訳案の筆蹟は酷似しており、同筆の可能性が高い。また、画像からの判断では確定的なことは言えないが、条文に使用された料紙(フランス語面:無地 漢訳面:細い罫線)と、漢訳案の料紙は同一の可能性がある。
漢訳案について
条約締結に向けて以下のような段階を経たことが想定される。
0.フランス語による条約の起草(フランス案)
1.通訳である中国人官僚による漢語訳(漢訳フランス案)
2.交渉初日にゲランより開示された原案(漢訳交渉原案)
3.琉球役人との交渉による改訂作業(改訂漢訳版)
4.条約正文の決定(条約正文)
今回発見された〈漢訳案〉は、果たしてどの段階のものであるか。
これを考える上で判断根拠となりそうなポイントがある。それは、漢訳案に〈総理大臣尚景保〉の名は挙げられているものの、〈布政大夫馬良才〉と〈布政大夫翁徳裕〉が挙げられていない点である。条約正文においても、四つの国書においても、すべて三名の連名であるのに、漢訳案のみ二人の名前がない。
十月一日、ゲランより〈漢訳交渉原案〉が提示されるが、その後の交渉が漢訳案に反映されているとすれば、〈布政大夫馬良才翁徳裕〉を省略することは考えられない。従って、漢訳案は、臨時職である布政大夫の人事がフランス側に伝わる以前、即ち、1ないし2の段階にあると考えるのが自然であろう。
しかし、漢訳案の冒頭には、フランスと琉球が協議した旨が書かれている。このことをどう考えればよいか。
《琉球王国評定所文書11巻一五三五号 16-1章》、これは咸豊五年十月一日、琉仏条約の協議初日の模様を記した文書であるが、次のような記述がある。
「これらの儀(フランス皇帝から琉球国王宛に認められた貿易を求めた書簡)は先に締結を約したものだから、いつどこで允可を得られるか」此儀者先追而之事約条相定候間、何日何所ニ而可致哉与申ニ付)とゲランは述べている。フランスとしては、一八四六年の運天交渉ですでに予備交渉は済ませており、残るは合意形成の段階であるという意識であったろう。同様の趣旨は、琉仏条約の冒頭でも触れられている。「フランスは琉球と先に条約の締結を求めたが允可を得られず、しばらく中断した上で再議することに同意した」(大仏蘭西国与大琉球国前請和約章程未蒙允諾今暫且停止待後再議)。
一八四四から始まるフォルカード神父の在琉など、他の西洋列強にさきがけ、琉球開国政策を進めてきたフランスであったが、前年、琉米条約を取り付けたペリーに先を越されてしまった。二国間条約は最初に結んだ国が有利に働く。それゆえ、交渉の連続性をもって、アメリカより先んじていたことを示したかったのであろう。
なお、外務省外交資料館とフランス海軍公文書館に保管されている条約正文の筆蹟と今回発見の漢訳案の筆蹟は酷似しており、同筆の可能性が高い。また、画像からの判断では確定的なことは言えないが、条文に使用された料紙(フランス語面:無地 漢訳面:細い罫線)と、漢訳案の料紙は同一の可能性がある。